私学、陽炎の教育とは①
(月刊なごやか NO.413(令和3年7月)掲載)
( 文章・写真は一部変更があります。)

ご縁をいただいて、本稿からエッセイを担当することとなりました、学校法人市邨学園の理事長を務めます末岡仁と申します。私立学校の経営者、というと珍しい職業かもしれません。

国公立の学校が基本的には国や地方公共団体によって作られるのに対し、私立学校には、どの学校でもその学校を作った創立者が存在します。

一人の個人の「人づくり」に対する強い想いに対し、それに共鳴する多くの人々の想いが沸き立ち、一つになることで創立にいたる私学の様を、本学園の創立者である市邨芳樹先生は、人々の想いを暑い日に起こる陽炎に喩え「陽炎の教育」と称しました。ですから、どの私立の学校も、学校創立に尽力した創立者の想いや考えを大切にし建学の精神として連綿と引き継ぎ教育を行っています。

市邨先生は、1967(慶応3)年広島県の尾道市にお生まれになり、その後、東京商法講習所(現在の一橋大学)で商業を学び、自らの生涯を商業教育にささげようと信念を持ち、教育に従事されました。教育の機会でさえ男女平等ではない100年以上前の日本において「女性こそがしっかりとした知識と教養と人格を兼ね備えることが、この国にとって大切なことである」と、先生は先を見通され、そのための女子向けの商業教育の学校を作ったのが、この市邨学園の始まりです。

世界の先進工業国で、少子高齢化と人口減少の最先端を走るのが日本です。これは世界の国々が共通して抱える、若しくは将来的に抱える問題であるがゆえ、日本は課題先進国と言われるくらいです。その他、環境問題、エネルギー問題、経済不安、安全保障、AIの台頭、コロナ禍後・・・、挙げればきりが無いくらいの課題に溢れています。しかも、これらの課題には、解決の糸口すら見えないものもあります。解決の予測ができない問題が溢れ、どこか現代の社会には不安感が漂っています。

このように時代の大きな転換点にあり、将来の予測が不可能な今の世の中を、明治維新の時代と似ているという人がいます。まさに、市邨先生が生きた時代です。先生のことがが今となって、なお輝きを増し続けているのは、当時と今とが時代として似ているということの表れかもしれません。

このコラムでは、そんな市邨先生のことがを紹介しながら、私学の良さ、これからの学校教育についてお話ができればと思っています。

市邨先生と教え子

市邨先生語集

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