私学、陽炎の教育とは②-2
(月刊なごやか NO.415(令和3年9月)掲載)
( 掲載内容を2つに分け内容を追記等しております。)

市邨先生は矢野先生や渋沢氏の偉業を継承し、日本商業教育のさらなる発展に尽くしました。そのうえさらに、市邨先生は先人たちが開拓し残した領域にも足を踏み出しています。その領域とは、女子のための商業教育でした。

矢野先生はあるとき、市邨先生に「君と僕とは明治の馬鹿気質なり」と述べました。商業教育に献身的に尽くす市邨先生の姿を、自分を見ているように感じてエールを送ったのでしょう。市邨先生はこれに「先生の大愚にあやかりたいと思います」と答えました。二人はそのまま、顔を見合わせて大笑いしたそうです。

渋沢氏も、市邨先生を矢野先生の後継者とみなしていました。渋沢氏は前回述べたように、市立名古屋商業学校の創立三十年式典に出席しています。氏はこのとき同校を視察し、後日あるエッセイで、市邨先生の教育を「矢野氏の如き周到なる注意に加えて、更に一歩文明的に進められたもの」と称え、「此の師にして此の弟子あり」と述べました。

市邨先生が東京商業学校(商法講習所から改称)を卒業して故郷の広島県に戻ったのは、明治20年、19歳のときです。市邨先生は、矢野先生の後を追って商業教育に従事したいと望みましたが、当時の広島県にはそもそも商業学校がありません。そこで市邨先生は小学校の教員として働きながら、独自に夜間講習会を開き、簿記・経済・英語を教えはじめます。これが好評だったため、市邨先生は私立尾道商法講習所(現・広島県立尾道商業高等学校)を設立しました。

注目すべきは、市邨先生がこのとき尾道商法講習所に4名の女子生徒を受け入れたことです。同校は日本初の、男女共学の商業学校となりました。市邨先生は当時から、女子にも商業教育が必要だと考えていたのです。女子生徒たちは成績優秀で、市邨先生は持論の正しさを確信しました。

ただし残念ながら、この試みはきわめて短命に終わりました。明治21年に広島県は尾道商法講習所を公立学校とし、市邨先生はひきつづき校長をつとめることになりました。これ自体は喜ばしい話でしたが、かわりに女子部は廃止を余儀なくされたのです。

市邨先生の発想は時代を先取りしすぎていました。市邨先生はその後の約20年間、男子の商業教育に専念します。尾道で数年間校長を務めたのち、明治26年に矢野先生の推薦で市立名古屋商業学校へ赴任、明治30年には校長となりました。

市邨先生の尽力で、市立名古屋商業学校は大躍進を遂げました。市邨先生の在任中に、同校は文部省の指定により、三つの博覧会(セントルイス万国博覧会、日英博覧会、パナマ太平洋万国博覧会)で日本の商業学校を代表して出品者を務めました。生徒数も、明治27年以降の10年間で、258人から1,066人へと四倍に増えました。

市邨先生はまた、自宅を「市邨塾」と呼称し、学生寮として開放しました。本学園には、市邨先生の家族と寮生たちの集合写真がたくさん残されています。驚いたことに写真の多くで、寮生たちは寝そべったり大物ぶって腕組みをしたり、おどけたポーズをとっています。市邨先生と彼らが親密な関係を築いていたからこそでしょう。

市邨先生はこうした活躍で高い世評を得たのちも、女子商業教育実現の夢を捨てませんでした。やがて明治30年代の半ば、時代は市邨先生に追いつきます。明治35年には、初期の尾道講習所をのぞけば日本初の、男女共学の商業学校、岡山市立商業学校(現・岡山県立岡山南高等学校)が誕生しました。つづいて明治36年、嘉悦孝先生が日本初の女子商業学校、私立女子商業学校(現・かえつ有明中・高等学校、嘉悦大学)を設立しました。

明治40年、市邨先生はこの流れを後押しすべく、私費を投じて名古屋女子商業学校(現・名古屋経済大学市邨高等学校)を設立し、長年の夢をかなえます。同校は日本初の、商業学校規定にもとづく正規の女子商業学校でした。明治45年には、市邨先生は市立名古屋商業学校の校長をつづけたまま、名古屋女子商業学校の校長にも就任します。一人で公立と私立二校の校長を兼務したわけです。

大正7年に市邨先生は私立名古屋商業学校の校長を引退し、女子教育に専念できるようになりました。大正12年には入学志望者の増大に対応するため、名古屋第二女子商業学校(現・名古屋経済大学高蔵高等学校)を新設しています。市邨先生はその後亡くなるまで両女子校の校長を務めました。そして昭和15年のある朝、出校の準備中に脳溢血で倒れて病床に伏し、翌年帰らぬ人となったのです。

尾道商業学校沿革概略

市邨先生と市邨塾生(明治39年)

参考文献
百年史編集委員会編 『CA百年(百周年記念)』 CA商友会 1984
山崎増二・杉浦太三郎・伊藤惣次郎編 『市邨先生語集』 市立名古屋商業学校・名古屋女子商業学校 1926
三好信浩 『日本商業教育発達史の研究』 風間書房 2012
三好信浩 『日本女子産業教育史の研究』 風間書房 2012
市邨学園百年史編纂委員会 『市邨学園百年史』 市邨学園 2007
渋沢青淵記念財団竜門社編 『渋沢栄一伝記資料』第44巻 渋沢栄一伝記資料刊行会 1962

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