私学、陽炎の教育とは⑧
(月刊なごやか NO.425(令和4年7月)掲載)
( 転載にあたり掲載時の内容・趣旨に基づき修正、順番を入れ替えております。)

二〇二三年は、関東大震災からちょうど百年目に当たります。今回はそれにちなんで、市邨先生が震災からまだまもないころに語った言葉を紹介しましょう。

関東大震災が終息したのち、ある銀行のオーナーは、行員たちがすぐ建物から逃げ出したと知って腹を立てました。オーナーは名士たちの前でため息をつきながら、こうこぼしたそうです。うちの行員は書類も出しっぱなし、金庫も開けっぱなしで逃げました。もし泥棒が来たらどうなっていたことか。責任感のない者ばかりでお恥ずかしい限りですと。

市邨先生はそれを伝え聞いて、こんな話を思い出しました。

ある殿様が家来とともに、琵琶法師の語る平家物語を聴いたときのことです。源義経の家来、佐藤忠信が、義経を助けるために身代わりとなるくだりで、殿様は感動して言いました。「義経はじつに良い家来を持っている。忠信といいその兄の継信といい。こういう忠義の士は、今ではほとんどいない」

すると家来の一人が言いました。「継信や忠信はいつの世にもいます。いなくなったのは義経だけです。主君が義経なみに立派なら、どの家来も継信や忠信なみに忠義を尽くすでしょう」殿様は、さぞかしぎゃふんとなったことと思います。

市邨先生は、さきの銀行オーナーもこの殿様を笑えないと思いました。震災下では、金庫の扉を閉めるだけでも命がけです。彼は果たして、行員にそこまでの「忠義」を期待できるほど立派な雇い主だったのでしょうか。「金のみで人を使えば、使われる者は金だけの事しかしないのは当然」です。

市邨先生は、かつての教え子たちに向けた演説で、震災と銀行オーナーの話をしました。いまや教え子たちは、みなそれぞれ人を使う立場についています。だからこそ、先生は彼らにこのオーナーと同じ過ちをしてほしくないと思ったのです。先生が彼らに伝えたかったことは、大きく分けて二つありました。

第一に、雇い主は使用人と人間らしいつきあいをすべきです。一方が給料を、他方が労働を提供するだけのドライな関係では、職場はうまく回りません。市邨先生は、商人と顧客や、貿易しあう国々は、金の授受
を超えた情のつながりを築くべきだと主張してきました。雇用関係でも話は同じです。

ただし第二に、雇い主は強い立場にあるぶん、使用人と信頼関係を築いたつもりで、じっさいには自分に都合のいい理屈を押し付けていないか反省しなくてはなりません。先生はおっしゃっています。

いわゆる温情主義を行うているという者の多くは、名をこの主義に借りて、じつは使用主だけに都合のいいようにしているもので、これだけのことをしてやるのだからありがたく心得よと恩にかぶせる態度であって、真に使用人の人格を尊重するの念なく、根本から間違うているのが失敗の原因です。

銀行オーナーも殿様も、自分が使用人や家来を大事にしてきたかは考えもせず、相手にばかり「忠義」を求めています。このような雇い主が、口先だけで絆だ情だといっても信頼は得られません。

人を使う者と、使われる者とを真に結びつけるものは、「情」と「義」と、次に「金」であります。しかるに人を使うに当たりて、この「情」を欠きて、ただ「金」を与うるのみにして、しかも使用人より「義」を期待する者あらば、私はその人の無知を憐れむのほかはありませぬ。

市邨先生は、社会を損得勘定だけでなく、良心や情愛によってもつなぎ合わせたいと考えていました。いまも多くの人々は、処罰を恐れて法を守り、儲けのために働いているだけです。人類がこの段階を卒業して、より友好的に協力しあうようになれば、「道徳と経済とは一致して、世界の経済は別様の観を呈し来る」だろうと。

市邨先生の考えをきれいごとに感じる人もいるでしょう。しかし彼らが良心や情愛の力を信じなくなったのは、先の銀行オーナーのような人々が、そうした言葉を濫用したせいかもしれません。良心や情愛そのものは、空疎な美辞麗句ではないはずです。

近年は社会科学の領域でも、良心や情愛の重要性が見直されつつあります。たとえば経済学者サミュエル・ボウルズは、人間には良心的な面と打算的な面があるから、国や公的機関はなるべく良心を引き出すように工夫すべきだと主張しました。

ボウルズによれば、人々に交通規則やゴミの分別などのルールを守ってほしいとき、理由を説明せずに罰金だけを科すのは望ましくありません。このやりかたは、ルールを破ると損するぞ!と利害に訴えるだけなので、人々を打算的にしてしまうからです。

イスラエルのある託児所では、子供のお迎えに遅刻する保護者に罰金を科したところ、かえって遅刻が増えてしまいました。以前は良心から時間を守っていたまじめな保護者まで、遅刻を打算的に考えるようになったからです。彼らはその結果、忙しいときは罰金を払うほうが楽なので、遅刻をためらわなくなりました。

この託児所は罰金を導入するとき、遅刻がなぜ迷惑かを説明して、保護者の良心にも訴えるべきでした。アイルランド政府が環境保護のためレジ袋に課税したときは、わずかな税額で袋の使用量は激減しています。政府が事前にレジ袋の有害さを広報したため、アイルランド人は袋の削減が良いことだと気づき、積極的に協力したからです。近年、日本もこの政策を見習っているのはご存じでしょう。

市邨先生は、雇用関係について似た考えを持っていました。雇い主が一方的に忠義を求めれば、使用人は身勝手に感じ、ますます打算的になるでしょう。逆に雇い主が誠意を示せば、使用人もおのずと良心で報いてくれます。

元来人は有情の動物でありまして、意気に感ずるという尊いところがあります。もし主人にして、衷心より使用人の人格を尊重し、これを愛するの真情あらば、使用人は必ずこれに感激し、この感激はただちに義務の観念を強めます。

誰もがこうした気遣いを心がけ、社会全体が人間らしいつながりを育むようになれば、市邨先生の言うような「道徳と経済」の一致も、夢物語ではなくなるにちがいありません。

市邨先生とCA塾塾友

市邨先生教え子からの年賀状(ニューヨークからの絵葉書)

参考文献
山崎増二・杉浦太三郎・伊藤惣次郎編 『市邨先生語集』 市立名古屋商業学校・名古屋女子商業学校・名古屋第二女子商業学校 1926
サミュエル・ボウルズ 『モラル・エコノミー インセンティブか善き市民か』 NTT出版 2017

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