私学、陽炎の教育とは⑨
(月刊なごやか NO.427(令和4年9月)掲載)
( 転載にあたり掲載時の内容・趣旨に基づき修正、順番を入れ替えております。)

今回は、市邨先生が英国の友人からもらった、奇妙なプレゼントの話から始めましょう。先生はこれを「皮肉なる贈物」と呼んでいました。

市邨先生が海外視察でロンドンに滞在していたとき、親しく付き合っていたイギリス人が、突然爪ブラシをくれました。お土産にふさわしい品物ではないし、相手の様子もどことなく意味深です。先生は、嫌な予感を覚えました。

昨年の春、予の最も親しき倫敦在住の一英人が、予に向って日本に持帰るべき御土産を進呈せんとて取出したるは、手指の爪を掃除する刷毛なりき。一見直ちに其の謎を解するを得ざりしも、何となく意味あり気に、何となく冷笑さるる様に感じて、心中軽き不安を覚えしが、果せる哉之は一つの皮肉なる贈り物なりしなり。

そのブラシは、じつは日本製の欠陥品でした。イギリスの友人は、一次大戦中にそのブラシを二つ購入したのですが、一つを試したところ、二日で使い物にならなくなりました。だから二つ目のブラシは新品のままだ、これを君にあげよう、というのです。

なかなかきつい冗談ですが、市邨先生には、イギリス人が意地悪をいいたくなる気持ちもよくわかりました。おそらく日本の商人は、ヨーロッパが戦争で品不足なのにつけこみ、用途も知らぬ職人に爪ブラシを急ごしらえさせて輸出したのでしょう。技術力が原因ならまだしも、不誠実から生まれた欠陥品ではかばいようがありません。

しかも市邨先生が、イギリスで日本製品の不評を聞いたのは、これが初めてではなかったのです。以前にも現地の公的機関が、日本製の髭剃り用ブラシを調査し、大半が細菌に汚染されていると発表したことがありました。先生はこのとき日本商業へのダメージを心配し、領事館などを通じて問題のブラシ業者に忠告すべきかと悩んだそうです。しかしそうこうするうちに、イギリスはそのブラシの輸入を当面禁止にしてしまいました。

市邨先生は、自分が傘を買ったロンドンの商店のことを思い出して、なおさら情けない気持ちになりました。その店主は大変良心的で、粗悪品を売りつけて恥じない日本の商人とは雲泥の差だったからです。

市邨先生によれば、冬のロンドンでは、外出時には傘が手放せません。毎日のように雨が降り、たまに雨がやんでも深い霧があたりを包むからです。ひんぱんに傘を使ったせいか、骨が一本折れたので、先生は最初に傘を買った店に修理を頼みました。

ところが、市邨先生が修理後に代金を払おうとすると、店主は、うちの店の商品だからお金はいらないといいました。その後、傘の柄を直してもらったときも、先生は払おうとしましたが、店主は聞き入れません。自分が売った商品には最後まで責任を持つ、という考えなのでしょう。

市邨先生はこの経験で、日本商業の未熟さを痛感した半面、持論への確信を強めもしました。その持論とはもちろん、経済活動の本質は助けあいであるという考えです。市場では、誰もが自分の得意なことを活かして、財やサービスを提供しあいます。なかには、人をだまして粗悪品を売りつけ、荒稼ぎをする人もいるでしょう。しかし長い目で見れば、良心的な仕事をする人のほうが愛されるのは間違いありません。経済活動がさかんであるほど、人々はより積極的に助けあい、社会はますます豊かになります。

西洋経済が発展したのも、この好循環を確立できたからでした。現にイギリスでは、市邨先生の傘を無料で直してくれた店主のような、誠実な商工業者こそが成功しています。イギリスの消費者は、一時的に悪徳商人に引っかかることはあっても、すぐにその不誠実さを見透かしてしまうからです。先生に「皮肉なる贈り物」をくれた友人がそうだったように。また政府も商品の衛生状態などを調査し、問題があるときは流通を禁じていました。

帰国後の市邨先生は、以前にもまして良心的な仕事ぶりの大切さを説くようになりました。たとえば先生は、商工業者が「輸出とは、広く世界の消費者に対して、わが商工業者が奉仕すること」だという気持ちを持たなければ、日本の輸出業は発展しないと述べています。このとき先生の脳裏をよぎっていたのは、あの「皮肉なる贈り物」だったかもしれません。意地悪なジョークにもへそを曲げず、相手の気持ちを汲み取ろうと努めたおかげで、先生は、認識をいっそう深めることができたのです。

洋行中の市邨先生への在校生からの
新年祝いの寄せ書き

参考文献
山崎増二・杉浦太三郎・伊藤惣次郎編 『市邨先生語集』 市立名古屋商業学校・名古屋女子商業学校・名古屋第二女子商業学校 1926

Copyright (c) 学校法人市邨学園. All Rights Reserved.