私学、陽炎の教育とは⑪
(月刊なごやか NO.431(令和5年1月)掲載)
( 転載にあたり掲載時の内容・趣旨に基づき修正、順番を入れ替えております。)

市邨先生は日本を深く愛していましたが、戦勝をむやみに誇る風潮には異を唱えました。友好的な交易のほうが、武力による勝利よりも国家を繁栄させると信じていたからです。

戦前の伊勢神宮には、巨大な大砲がいくつも設置されていました。日清・日露戦争のときに、日本が交戦国から獲得した戦利品です。

市邨先生は、これを嘆かわしく思っていました。大正十年には、戦利品の誇示は国民を好戦的にし、外国人の不信を買うだけだと批判しています。

日本国民のもっとも崇敬する伊勢神宮神苑中に、麗々しく陳列してある大砲その他の戦利品、これが国民思想に及ぼす影響はどうでしょう。また参拝の外人は、これを見ていかなる感想を抱くでありましょうか。

愛国心の養成は、ほかに道があります。戦利品なら、ほかに適当なる陳列場があります。国家の光栄は、ただ戦勝によりてのみ来るものでなく、日本国民は決してさように信じてはおりませぬ。

市邨先生は、日本が軍事力に頼りすぎではないかと心配していました。大正五年には、陸軍の教育を監督する教育総監には高等官が四十六人もいるのに、全国の教育を担う文部省には二十四人しかいないことを憂慮しています。先生の没後に、その懸念が的中したのはいうまでもありません。

市邨先生は、商工業には平和をもたらす力があると考えていました。貿易を通じて、友好国を増やせるからです。逆にいえば、軍事一本槍で産業や教育をおろそかにする国は、国防の役割さえ満足に果たせません。先生は、伊勢神宮の大砲展示を批判する半年ほど前に、かのナポレオンも商工業の力を侮ったために失墜したのだと語っています。

ナポレオンがヨーロッパに勢力圏を広げたころ、残る宿敵イギリスは、産業革命の真っ最中でした。ナポレオンは敵国の繁栄を経済制裁でつぶそうと考え、各国にイギリスとの貿易を禁じます。かくして、歴史上指折りの天才軍人ナポレオンと、歴史上前代未聞の成功を達成したイギリス商工業者との戦いが、幕を開けました。

そして軍配は、商工業者に上がりました。多くの国がイギリスの商品を必要とし、ひそかに貿易を続けたからです。市邨先生はこう述べています。

ナポレオンの威力をもってするも、英国商品がいたるところ友を得るをいかんともする能わず。

怒ったナポレオンは、命令に背いた国々と戦争をくりかえし、ついにはロシアへ無謀な侵攻を企てて、自滅してしまいました。

市邨先生は、貿易の力が国々を一つにまとめ、世界から戦争が消え去ることを期待していました。武力で他国を侵略して「自他ともに禍せる」結果を招くより、貿易で共存共栄の道を歩むほうが賢いのは自明だからです。しかし、先生が伊勢神宮の展示を批判してから百年以上たった今も、人類は戦争を克服できていません。一刻も早く、あらゆる国が戦争の愚かさを認め、国際協調を選ぶ日が来ることを、願ってやみません。

NY ウエストポイント 南北戦争記念碑の前にて(1920.09.06)

参考文献
山崎増二・杉浦太三郎・伊藤惣次郎編  『市邨先生語集』 市立名古屋商業学校・名古屋女子商業学校・名古屋第二女子商業学校 1926
加島茂  『ナポレオン・フーシェ・タレーラン  情念戦争  1789-1815』 講談社 2009年

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